劇団海賊ハイジャックによるブログ。 第4回航演「Zyklon B)」 @ ザムザ阿佐谷 3月9日(金)~3月12日(月)
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シニカル&ポップなトランジスタコメディ集団『海賊ハイジャック』のブログです。
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11月、海賊ハイジャックがモラル社会に悪の華を咲かせます。

 悪の華といえばギャング、そして舞台はニューヨーク。ギャング・オブ・ニューヨークです。あれ!?
あの映画のストーリーとは全く関係ありません。設定は同じですが。。

 メインは貧困社会から成り上がろうとする人々の生涯を描く。そう、私、「あしたのジョー」が大好きなんです。あのハングリー感。今の海賊に最も必要なことでは、と。強欲にグリードにストーリーをぶち込んでいきます。
 権力を得た絶大な悪党の前で、微々たる正義はどう生きるのか、強者の前で翻弄される弱者の心理は、恥ずかしくも、皆が抱く共通の感情だった。だってみんな勝つよりもよっぽど多く、負けてきてるんだもの。

 予備知識として、当時のアメリカはニューヨークの社会背景から説明していきましょう。
 19世紀初頭アメリカ、ナポレオン戦争を危惧して海上を封鎖したN.Yパラダイス・スクエアは経済的な大不況を迎えていた。富のあるものは転出し、黒人解放奴隷やアイルランド系移民、いわゆる貧民のみが残る土地となる。その中で力をつけたのがギャング集団であった。警察も政府も介入しない、というよりもはや見放したスラムにはもぐり酒場を根城とするフォーティ・シーブズというギャング団が幅をきかせるようになる。

パラダイススクエア
 アメリカギャング発祥の地はニューヨークのパラダイス・スクエアという所でした。↑の図は当時のパラダイススクエアの地図です。
パラダイス・スクエアとは、N.Yの五つの通り、ワース、バクスター、マルベリー、モスコ、リトルウォーターを交差させたところに出来る三角州に興った中心街のことです。
このところどころに経営されていた酒場を本拠地として、ギャングは勢力を広げていったんですね。

 当時は警察というものの存在が希薄で、消防団という自警団が、ボランティア代わりに治安を守るという、平和に関しては実に消極的な維持を行っていました。そりゃあもう、ギャングのやりたい放題体勢が続いたようで、ほんに、アメリカ闇の時代だったということです。
また、移民や開放奴隷の影響によるますますの治安の悪化、それによる宗教問題など、まさにひどい有様なんだけど、描く方としては、実におもしろいなあ。と、不謹慎に結びます。

んでは、次回に続きま~す。

                     UNO
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音響/webのMJRKです。
やらしくどうぞ。


さて
次回航演の舞台はNYC...

というわけで
「ニューヨーク」とか
「海賊」でぐぐっていたら
BARNEYS NEWYORKのこんなTシャツを発見。
海賊公式ウェアにぴったり!



バーニーズのやつ

これ







Σ (゚Д゚;)あ、売り切れ?
夢を操れることがあります。

 いつも夢を見ます。そして、その夢に一つ現実と違うところがあります。それは、基本的に必ず
空を飛べます
 夢の見始めは大体空の飛び方を忘れているんですが、そのうち掴んでいきます。うん、この感じだ。と風を読む力を思い出していくんです。丁度自転車でウィリーをする時の感じと似ています。一番好きなのは、ビルの屋上から飛び降りて、地面すれすれで滑空してまた空へ飛び立つ時です。あの快感はたまりません。
 空を飛ぶ時にコントロールを失うと焦ります。丁度自転車を両手ばなしで運転中によろけてハンドルを掴み、危うく難を逃れる時の感覚に似ています。そして、意外と疲れます。丁度自転車で(以下略)

 昨日見た夢で、僕にはまず、驚異的なスピードで動けるという能力が備わっていました。もちろん空も飛べます。
場所はデパートです。
僕は店員の見ている前で堂々と万引きをします。
もちろん店員は注意に来ます。
僕は瞬時に彼の後ろに回りこんで一つ蹴りをいれます。彼は前につんのめり、怒りあらわに襲い掛かってきます。でも私、速いです。
追ってくる彼を尻目にエイトマンさながら彼との距離をあけます。そして洋服売り場に飛び込み、売り物の服に着替えて、それも神がかりな速さで、汗だくになって僕をさがす小太りな彼の慌てぶりを悠々と歩いて見に行きます。そして僕は飛び立ちます。
また一つ、人を困らせたな
満足げな表情で、燃える太陽に向かいます。
                         UNO
「クラッシュ」という映画を観ました。
 それなりに面白かったんだけど、一番面白かったのが、若い巡査が部長に問答を仕掛けに部屋に訪れるシーンで、話し合う二人の後ろの壁に何故かアーノルド・シュワルツネッガーの肖像が立てかけられていたところです。我ながらよく気付いたと思います。彼のファンだからなせる業でしょう。彼には原哲夫先生の描くような演技を忠実にできる名大根俳優として、一目を置いている今日の僕です。
 そして映画上でその肖像に全く触れていないところがいい!カメラのアップさえない。遠目から、かつて、この人がこの所轄で大変な勇気ある行為を示したために肖像として飾られているのだろうというのが、わかるようでわからない。
「でもそれがいい」 隆慶一郎先生の名文句で幕を閉じたいと思います。

                          UNO
 Fair Warningが復活しました。彼らが解散した時、メロディアス・ハードは死んだと思った。当時抱いていた熱情や感動も、彼らの解散とともに次第に薄れていくのを感じていました。彼らの栄光に肖って数多のメロディアス・ハードのバンドが生まれたが、誰も彼らの作った牙城を打ち崩す存在はいなかった。何故ならメロディアス・ハードというのは彼らの旋律を印象付けるために作られた代名詞だったのだから。最も隆盛した時に。何故今!そう思われて詮方がない。
 思い人を失ったような喪失体験に襲われる中、再開はないかと切に願っていた。メンバーは個々に活動を始め、それぞれが業界で別個に囁かれる度に、その願いは打ち砕かれていくようでした。もちろん、個々の実力は高くとも、Fair Warning時代に持っていたケミストリーを爆発させることが出来ない一人一人に憤りを覚えていたことも事実である。この時を境にハード・ロックを聞くことは無くなった。
 しかし、彼らは復活した。ファミレスでgeneration gediを聞いた時、涙が溢れて止まらなかった。あの旋律が甦った。メロディが川のように流れた。下流に消えていったかと思っていた10代の時のあの激情、悲しみが一挙に遡った。死んだと思っていた人に会えたのだ。この喜びは筆舌には尽くせない。今の自分は、あの頃の自分が思い描いていたような生き方をしているだろうか。恥と思うような人間になってはいないだろうか。過去の憧憬が再沸する。ハード・ロックはどこか雑で真っ直ぐ過ぎる、そんな生き方を今一度思い出したような気がしている。follow my hart 心の赴くままに。いつも支えてくれた歌でした。
 またいいものが書けそうな気がする。

                          UNO
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